東日本大震災の震災遺構・追悼施設など【宮城県編】

東北地方
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保存/撤去済みを含め、今までに訪れた震災遺構などを紹介

 2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波は岩手県・宮城県・福島県沿岸部を中心に大きな被害をもたらしました。 これまで万全だと思われた津波に対しての知識や対策が、ことごとく打ち破られた想定外の津波でした。

 そんな津波の恐ろしさを後世に伝えるため、また犠牲者を慰霊するための震災遺構や慰霊公園などが整備されつつあります。 一方で、地域住民の反対や復興整備による立ち退きなどで震災遺構として保存することを断念して撤去された施設も数多くあります。

 ここでは僕が東北沿岸部を走った事のある計4回(2011年10月/2013年6月/2015年9月/2017年9月)に訪問した震災遺構や慰霊公園などの追悼施設、また、それらに準ずる施設を紹介していきます。
 なおかつ、2021年2月時点での保存状況、撤去済み(予定)なのかも調べたうえで、調査しました。

 主に岩手県と宮城県の施設がメインとなりますが、ここでは宮城県の震災遺構や追悼施設を紹介していきます。 岩手県については以下を参照してください。

※訪問の際の注意:震災遺構や慰霊公園は観光地ではなく、過去の教訓を伝承するもの・追悼施設としての役割を果たしています。 この地でご家族や友人等を亡くされた方も多く訪れるので、観光地感覚の訪問や過度な散策や撮影などは控えてください

第十八共徳丸 【気仙沼市】※撤去済み

津波により町の中心部まで流された大型漁船

 第十八共徳丸は気仙沼市北部の旧:JR大船渡線・鹿折唐桑(ししおりからくわ)駅(現:BRT停留所駅)の駅前まで津波の力によって流れ着いた漁船です。

 総重量330トンの大型漁船が漁港から750m離れた鹿折唐桑駅中心部まで流れ着いたことは、津波の威力を知らしめると共に見た目のインパクトから当時のテレビでも注目されるようになりました。保存する意見もありましたが、保存反対の意見の方が多く、保存費用や復興事業の妨げとなるため2013年に撤去されました。
 現在は少しずつ住居や商業施設が作られ、元の賑わいが戻りつつあります。

◆ 第十八共徳丸 ◆
存続可否撤去済み
住所:現:BRT鹿折唐桑駅前付近
訪問時期:2013年6月
★撤去済みの為Googleマップは省略★

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 (旧気仙沼向洋高校)

気仙沼市の伝承館として整備・公開

 旧:気仙沼向洋高校は気仙沼の観光地の1つ、岩井崎の近くにあった高校で、海岸からわずか300mほどしか離れていない位置にありました。

 2011年10月撮影時の向洋高校。 あたりには流された車や家屋、瓦礫が散乱していて元々どこが道路で周りに何があったかさえわからないくらい凄惨な光景でした。
 震災時、高校には200名以上の生徒・教員・校舎改修の工事関係者等が居ましたが、全員無事避難できました。 詳細は気仙沼向洋高校HPの「東日本大震災の記録」のページ(pdfファイル)にて詳細に記録されています。

 2017年撮影時の向洋高校。 当時は新校舎(写真右)が2011年3月中旬には完成するはずだったが、完成を目前にして津波の被害を受けました。

 校舎の1階部分には車が入り込んだままとなっていました。

 現在、向洋高校はより内陸の方へ移転し、こちらの校舎は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館としてオープンしたため、一般の人も見学ができるようになっています。

◆気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧:気仙沼向洋高校) ◆
存続可否保存→伝承館として公開中
住所:宮城県気仙沼市波路上瀬向9−1
料金:600円
バイク駐輪場:無料/四輪と共用
開館時間:4月~9月…9:30~17:00/10月~3月…9:30~16:00
・最終受付は閉館1時間前まで
休館日:月曜日(祝日の場合開館)、祝日の翌日(土日、GWを除く)、年末年始
HP気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
訪問時期:2011年10月/2017年9月
★Googleマップで【気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧:気仙沼向洋高校)】を見る★

旧:南三陸町防災対策庁舎(南三陸町震災復興祈念公園)

町を丸ごと飲み込んだ南三陸の津波

 東北沿岸の町の中でも津波の被害が最も深刻だった南三陸町
 その中心部である志津川地区の南三陸町防災対策庁舎は当時、町長を含む53名が3階屋上に避難したものの、津波は屋上を2m超えるほどの高さで襲い掛かりました。

 屋上に避難したほとんどの人が流され、屋上に設置されていた大型のアンテナポールや屋上より数段高くなっていた階段のわずかなスペースにしがみついていた10名のみが生き残り、残る43名が死亡・行方不明となりました。

 鉄骨のみを残してすべて流された南三陸町防災対策庁舎。
 多数の犠牲者が出ていることから、一時期は解体する方向で決定しましたが2013年の宮城県震災遺構有識者会議によって、震災遺構の対象となる宮城県内14施設の1つとなりました。
 その後、防災庁舎周辺を含め一体として復興整備を進め、2020年10月には南三陸町震災復興祈念公園として全体開園されました。

 現在の南三陸さんさん商店街と橋を掛けて立ち入ることができるようになっています。

◆ 旧:南三陸町防災対策庁舎(南三陸町震災復興祈念公園) ◆
存続可否保存→復興祈念公園として整備済み
料金:見学無料
バイク駐輪場:公園北東側に駐車場あり。南三陸さんさん商店街からも散策可能
見学時間:自由
訪問時期:2013年6月
★Googleマップで【南三陸町震災復興祈念公園】を見る★

旧:石巻市立大川小学校

津波避難対応の稚拙さを露呈させた悲劇の小学校

 旧:石巻市立大川小学校は震災当時、学校内には児童78名と教職員13名が居ましたが、津波により助かったのは僅か児童4名と教職員1名と、学校管理下における災害の中で戦後最悪の死者数となりました。

 問題となったのは地震発生から津波到達までの教職員間での対応の遅さで、津波到達までの約40分間校庭に全員を待機させたまま、まともな移動をせずに避難先のことで揉めた結果の惨事となり、避難対応の稚拙さが浮き彫りとなった事で有名になりました。

 一方で、大川小学校は北上川のすぐ近くに建っていたものの海岸から約3㎞以上離れた場所にあるため、津波が到達するという予見は難しかったともいわれています。
 しかし、現に津波は川の河口から4~5㎞遡上して襲っていることから、津波は海岸から離れていれば必ずしも安全と言うわけではないことも大川小学校の悲劇から得られた教訓ともされています。

 こちらも南三陸防災庁舎同様、多数の犠牲者が出ていることから保存か撤去か議論は難航しましたが、震災遺構保存工事及び追悼施設整備を2021年3月末までに完成させる事になりました。

◆ 旧:石巻市立大川小学校 ◆
保存可否保存→2021年3月末までに追悼施設整備予定
住所:宮城県石巻市釜谷山根1
・整備中の為、立ち入れるエリアに制限がある場合があります
料金:不明、現時点で特になし
バイク駐輪場:駐車場が整備予定、臨時駐車場あり(無料)
見学時間:自由(夜間照明無し)
訪問時期:2013年6月
★Googleマップで【旧:大川小学校】を見る★
 

「江島共済会館」「女川交番」「女川サプリメント」【牡鹿郡女川町】※一部解体

現在は「女川交番」のみ保存

 江島共済会館は女川町の中心部にあった4階建ての鉄骨ビルで、津波により建物が横転したまま流されました。 「頑丈なビルの3階以上へ避難」という、今までの津波避難の常識が覆された事を象徴する建物でした。

 近くで見ると、基礎の部分から丸ごと抜けたかのようにそのまま倒れていることがわかります。

 現地案内板にあった、震災前の江島共済会館の写真。
 現在、江島共済会館はすでに解体済みで、復興整備の嵩上げ事業が進んでいます。

 さらに、女川町内には「女川交番」(写真手前)と「女川サプリメント」(写真やや右奥)があります。 どちらも鉄筋コンクリート造のビルですが、基礎ごと建物が横倒しになっています。

 現在、「女川サプリメント」は解体済みですが、「女川交番」のみ震災遺構として保存が決定され、整備が完了しました。

 女川交番も震災前の写真と案内板が設置されていました。

 ちなみに、女川駅前の周辺は見事に復興整備…というか再開発が進んでいて、駅前通り商店街がかなりオシャレに生まれ変わっているので、観光散策しがいがありました。 観光施設も充実していたので女川に来たなら立ち寄ってみましょう。 【HP:シーパルピア女川

◆ 旧:女川交番 ◆
存続可否:「江島共済会館」「女川サプリメント」は解体、「女川交番」のみ震災遺構として保存→整備済み
住所:宮城県牡鹿郡女川町女川浜女川310−1
料金:見学無料
バイク駐輪場:女川交番専用の駐車場は無いので周辺町営駐車場などを利用(町営はいずれも無料)
見学時間:自由
参考HP女川町/震災遺構について
訪問時期:2017年9月
★Googleマップで【旧:女川交番】を見る★

荒浜海岸と旧:仙台市立荒浜小学校 【仙台市】

ほぼ全て流された住宅地と被害状況をそのまま残した小学校

 仙台市若林区の荒浜海岸すぐ近くにあった荒浜地区の住宅街は津波によってほとんどの建物が基礎部分を残して流されてしまいました。 以前は住宅に遮られて中々見えなかったはずの仙台市街が今では容易に見えてしまうほど、まさに景色が一変してしまった町です。

 そんな荒浜海岸からわずか500mほどしか離れていない荒浜小学校には2階の床上まで津波と瓦礫が押し寄せましたが、当時に居た児童や教職員や地域住民の約320名は3~4階に避難した為、全員無事救出されました。

 そして現在の荒浜小学校校舎は震災遺構として保存整備が終わり、震災当時の状況を伝えるための施設として一般公開されています。

【他】 仙台市立荒浜小学校(震災遺構) ★★★ 【仙台市】
震災当時の被害の様子を極力そのままに展示  仙台市立荒浜小学校は2011年の東日本大震災の津波で大きな被害を受けた地区にある小学校で、沿岸部から約500mほどしか離れていない場所にあります。  津波は4階建て校舎の2階床上まで押し寄せ、...

↑ 詳しくはこちらを参照してください。

 また、荒浜小学校から真っすぐ海岸の方向へ走れば、被災した地域住民を追悼する慰霊の塔と、震災遺構として残された「住宅の基礎部分」、仙台市内唯一の砂浜海岸という荒浜海岸(震災以降遊泳禁止)があります。

◆ 旧:仙台市立荒浜小学校 ◆
保存可否保存→震災遺構として整備され公開中
住所:宮城県仙台市若林区荒浜新堀端32−1
料金:見学無料
バイク駐輪場:校舎前に駐車場、入口付近に二輪専用スペースもあり。無料
見学時間:9:30~16:30/7・8月は17:00まで
定休日:月曜日/第4木曜(祝日を除く)/年末年始/臨時休館日
HP仙台市/仙台市立荒浜小学校
訪問時期:2017年9月
★Googleマップで【仙台市立荒浜小学校】を見る★

旧中浜小学校 【亘理郡山元町】

宮城県南部では唯一の震災遺構としての保存

 仙台の荒浜地区同様に平坦な土地が広く、被害の範囲が広かった山元町沿岸部にあった旧:中浜小学校海岸からわずか400mほどしか離れていない場所にある2階建ての校舎です。
 震災当時は約90名の児童や教職員、地域住民は屋上に避難しましたが、津波は屋上に迫る寸前の所まで押し寄せてきました。

 2階の天井付近まで津波が来たことを伝える「津波到達ライン」(写真右上)が記されています。
 津波は屋上まで到達しなかったため、避難した約90名は奇跡的に助かることができました

 

 旧:中浜小学校は震災遺構として保存、2020年に一般公開されていますが、訪問時(2017年)はまだ保存整備前だったからか外周だけ立ち入りが可能で、外から内部を見るような形で見学することができました。

 数年の風化も感じる部分はあるものの、明らかに津波の力で捻じ曲げられた鉄枠や破壊されたコンクリート基礎の部分がいたるところにありました。

 校舎外壁に掲示されていた、震災当時の状況を示すパネル。 地震発生時から救助されるまでの内容が鮮明に記録されていました。

 現在は保存整備も完了し、内部も一般公開されているので訪問時とは若干違いはあるかと思いますが、こちらも津波の威力を示した貴重な震災遺構となります。

◆ 旧:中浜小学校 ◆
保存可否保存→震災遺構として整備され公開中
住所:宮城県亘理郡山元町坂元久根22
料金:400円
バイク駐輪場:無料/四輪と共用
開館時間:9:30~16:30(最終入館16:00)
定休日:月曜日(祝日の場合開館、翌日休み)/12月28日~1月4日
HP山元町/震災遺構中浜小学校の一般公開について
訪問時期:2017年9月
★Googleマップで【旧:中浜小学校】を見る★