◆東日本大震災の震災遺構・追悼施設など 【岩手県編】

東北地方
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保存/撤去済みを含め、今までに訪れた震災遺構などを紹介

 2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波は岩手県・宮城県・福島県沿岸部を中心に大きな被害をもたらしました。 これまで万全だと思われた津波に対しての知識や対策が、ことごとく打ち破られた想定外の津波でした。

 そんな津波の恐ろしさを後世に伝えるため、また犠牲者を慰霊するための震災遺構や慰霊公園などが整備されつつあります。 一方で、地域住民の反対や復興整備による立ち退きなどで震災遺構として保存することを断念して撤去された施設も数多くあります。

 ここでは僕が東北沿岸部を走った事のある計4回(2011年10月/2013年6月/2015年9月/2017年9月)に訪問した震災遺構や慰霊公園などの追悼施設、また、それらに準ずる施設を紹介していきます。
 なおかつ、2020年12月時点での保存状況、撤去済み(予定)なのかも調べたうえで、調査しました。

 主に岩手県と宮城県の施設がメインとなりますが、ここでは岩手県の震災遺構や追悼施設を紹介していきます。 宮城県については以下を参照してください。

※訪問の際の注意:震災遺構や慰霊公園は観光地ではなく、過去の教訓を伝承するもの・追悼施設としての役割を果たしています。 この地でご家族や友人等を亡くされた方も多く訪れるので、観光地感覚の訪問や過度な散策や撮影などは控えてください。

普代水門 【下閉伊郡普代村】

高さ15.5mの普代水門のおかげで普代村は被害を免れた!

 普代村の国道45号から北山崎へ向かう県道44号線沿いにある普代水門は1984年に完成。
 先の明治三陸地震や昭和三陸地震の津波被害を考慮し、当時の防潮堤や水門が高くても10mだったのに対し、高さ15.5mもの大きな水門を作りました。
 これには当時は反対する者もいましたが、東日本大震災では約20mもの津波が押し寄せ、水門を乗り越えたものの、普代村の中心部や水門すぐそばの小中学校まで津波が押し寄せることはありませんでした
 結果として普代村の死者0人(ただし、船の様子を見に行った1人が行方不明)被災民家0軒と、普代水門のおかげでかろうじて被害を免れたことから奇跡の水門とも言われています。

 普代水門には三陸ジオパークの案内板が

 水門上部まで上がることが出来ます。

 水門から河口方向を望む。 海岸まで400mくらい? よくぞこの至近距離で津波を受け止めてくれたと感動します。

◆ 普代水門 ◆
存続可否保存→現在も現役の水門として稼働中
住所:岩手県下閉伊郡普代村第14地割
料金:見学無料
バイク駐輪場:車2台分程度の駐車スペースがあるのみ/無料
見学時間:特に制限なし
参考HP三陸ジオパーク/普代水門
訪問時期:2017年9月
★Googleマップで【普代水門】を見る★

たろう観光ホテル 【宮古市田老】

震災遺構として保存が決定された施設の先駆け

 たろう観光ホテルは宮古市北部の田老(旧:田老町)の沿岸部にあった6階建ての観光ホテルです。

 津波は高さ17mを超え、ホテルの1,2階部分は鉄骨を残してすべてを破壊しつくし、4階まで浸水する被害を受けました。
 2014年に震災遺構として保存されることが決定。 正式に震災遺構として保存されることが決まった施設としては、たろう観光ホテルが最初だったと記憶しています。

 現在は保存工事も終わり、被災当時のありのままの状態を残して保存されています。

現地の案内板。
 外観のみの見学ですが、予約をすればガイドコースとして内部の見学をすることができます。

◆ たろう観光ホテル ◆
存続可否保存→保存整備完了
住所:岩手県宮古市田老野原80−1
料金:外観を見る分は無料 (予約制のガイドコースは4000円から)
バイク駐輪場:建物前に駐車場あり。無料/四輪と共用
見学時間:外観を見る分には特に制限なし
参考HP三陸ジオパーク/たろう観光ホテル
訪問時期:2017年9月
★Googleマップで【たろう観光ホテル】を見る★
 

田老の防潮堤 【宮古市田老】

当時は「万里の長城」とも呼ばれた巨大防潮堤

 上記の「たろう観光ホテル」のすぐ近くにある田老の防潮堤は1966年に完成した長さ2.4㎞、高さ10mもの巨大防潮堤です。 高さ10mの防潮堤は当時としては日本一高い防潮堤で、その様相から万里の長城とも呼ばれていたほど。 事実、昭和35年のチリ地震津波では防潮堤が町を守ったとして国内外から高い評価を得ました。

 しかし、東日本大震災の津波は高さ17mを超える想定外の規模の津波だったため、防潮堤をゆうに乗り越えて町の中心部を飲み込み壊滅的な被害を受けました。

 それから月日は流れ、田老の防潮堤は一部は損壊したまま保存しつつも現在も現役の防潮堤として活用されています。 そして旧田老町中心部は野球場や道の駅がオープンして、以前の繁華街&住宅街から公共施設メインでの土地活用と大きく方針転換して復興を遂げつつあります。
・詳しくは【撮】 田老の防潮堤 ★★★ 【宮古市】を参照

◆ 田老の防潮堤 ◆
存続可否保存→一部は被災状態のまま保存し、大部分は現役の防潮堤として活用
住所:岩手県宮古市田老川向63-5
料金:無料
バイク駐輪場:道の駅「たろう」に駐車。四輪と共用
・他にも小規模な臨時駐車場が点在しているかも
見学時間:特に制限なし
参考HP田老の防潮堤
訪問時期:2011年~2017年に数回
★Googleマップで【田老の防潮堤(道の駅駐車場)】を見る★

旧大槌町役場 【大槌町】 ※解体済み

町長をはじめ、多くの犠牲者が出た大槌町役場

 大槌町は釜石市の北側にある町で、旧町役場は2階建ての鉄筋コンクリート製。
 震災当時、町長を含めた町職員は役場前で災害対策会議をしていた所、津波が到達。 町長を含めて40人が犠牲になりました。 当時、町のトップである町長が亡くなるという衝撃的なニュースは忘れられない記憶の1つです。

 津波が到達した3時20分で止まっている時計

 旧役場前には追悼用の慰霊碑が設置されていました。
 この旧役場の保存/解体の是非については長らく議論されていましたが、2019年3月に解体されました。 2020年12月現在は慰霊碑のみが残されて更地となっています。

◆ 旧大槌町役場 ◆
存続可否解体済み
住所:岩手県上閉伊郡大槌町新町1
参考HP大槌町
訪問時期:2015年9月
★解体済みの為マップは省略★

下宿定住促進住宅 【陸前高田市】

一目でわかる津波の恐ろしさ

 陸前高田市の国道45号沿いにある下宿定住促進住宅は5階建ての団地風の建物でした。 まだ整備途中で現地に案内板などが無くて、これがどんな施設だったのかわからないんですが、おそらく名前通りのような市営住宅だったと思われます。

 そして、見てわかるように、1階から4階までが津波によって破壊されていることがハッキリとわかります。
 実際は5階の床上まで到達していたとのことで「津波は3階以上の建物に避難する」と言う、これまでの津波対策の教訓が全く通用しない例の象徴的な震災遺構となります。

 国道を挟んで向かい側では追悼公園を造る工事をしていました。 近くにある旧道の駅「高田松原」奇跡の一本松を含んだ国営の復興祈念公園が整備されています。
 復興祈念公園はほとんど完成していますが、下宿定住促進住宅周辺は2020年現在もまだ整備途中のため駐車場等は無いので、見学する際は国道を走行する車や工事関係車両に迷惑の掛からない範囲で見学しましょう。

◆ 下宿定住促進住宅 ◆
保存可否保存決定→保存整備中
住所:岩手県陸前高田市高田町下宿 高田町字下宿34番地5
料金:外観を見るのみなら無料/建物周辺及び内部は立入禁止
バイク駐輪場:整備中の為無し
見学時間:特に制限なし
訪問時期:2017年9月
★Googleマップで【下宿定住促進住宅】を見る★

オカモトセルフ 陸前高田店 被災看板 ※撤去&移設済み

長らく津波の高さと恐ろしさを伝えてきた看板

 オカモトセルフは東北・北海道を中心に展開するセルフ型ガソリンスタンドで、このオカモトセルフ陸前高田店は津波で店舗が跡形も無く流されてしまいました。

 津波に耐え、かろうじて残ったのがこの看板のみ。 看板の一部が破損したものの、「津波浸水高15.1m」の表示を付けて津波の高さを伝えてきました。
 オカモトセルフ陸前高田店は被災前と同じ場所にお店を再建して営業を続けていましたが、2018年8月に国道45号のかさ上げ事業のため移転閉店。 当初被災看板を移転先の新店舗に設置することは市の屋外広告等の条例によって難しいとされていましたが、市からの特例によって看板の脚を短くした上で新店舗に展示されることになりました。

◆ オカモトセルフ 陸前高田店 被災看板 ◆
存続可否移転の為撤去→脚部分を短くした上で移転先店舗に展示中
住所:岩手県陸前高田市米崎町字沼田55
料金:看板を見る分には無料
バイク駐輪場:新店舗にも看板を見学する為の駐車場が1台分設けられています。
見学時間:6:00~24:00 (新店舗オカモトセルフの営業時間)
参考HPオカモトセルフ陸前高田
訪問時期:2017年9月
★Googleマップで【オカモトセルフ 陸前高田店(移転先)】を見る★

旧道の駅「高田松原(タピック45)」【陸前高田市】

東日本大震災追悼施設の中心地として整備

 旧道の駅「高田松原(タピック45)」は国道45号沿いにあった大型の道の駅でした。 津波よって壊滅状態となった陸前高田市の中で、震災遺構として保存が決定された大型施設の1つです。

 2017年訪問時点ではこの旧道の駅が岩手県の東日本大震災追悼施設となっていて、追悼設備が数多く設置されています。

 2020年12月現在は新:道の駅「高田松原」がオープンし、それに隣接する形で国営の津波復興祈念公園も大部分が完成、オープンしました。
・詳しくは【他】 旧:道の駅「高田松原」(タピック45) ★★★【陸前高田市】を参照

◆ 旧道の駅「高田松原(タピック45)」 ◆
保存可否保存→周辺一帯を津波復興祈念公園として整備中
住所:岩手県陸前高田市高田町古川28−5
料金:見学無料(外観のみ)
バイク駐輪場:無料、四輪と共用 
※復興祈念公園整備の為、一時的に駐車場の利用が出来なくなっている可能性があります。
見学時間:特に規制なし/情報館は9:00~17:00
参考HP岩手県観光協会/旧・道の駅「高田松原」タピック45
訪問時期:2013年6月/2017年9月
★Googleマップで【旧道の駅「高田松原(タピック45)」】を見る★

奇跡の一本松 【陸前高田市】

震災当時からの復興の象徴

※2011年10月撮影のレプリカ前の一本松
 奇跡の一本松はかつてこの場所に存在した高田松原の松の木で、津波によって約7万本あった高田松原はほぼ全て流されてしまいました。 そんな中唯一残った松の木が「奇跡の一本松」として被災者の希望を与える復興の象徴として一躍有名になりました。
 その後、塩害の影響で枯死したことが判明したためレプリカとして型を取って展示される事になりました。 保存事業には多くの費用が発生することから反対意見もありましたが、結果として知名度の高い観光地として多くの観光客が押し寄せるほどになりました。

 「奇跡の一本松」の奥に見える半壊している建物は旧:陸前高田ユースホステル。 震災前から休業中だったため人的被害は無かったものの、建物左側部分が地盤沈下で崩れている上に津波の被害も受けました。 こちらも震災遺構として保存が決定している建物です。
 奇跡の一本松付近はちょっとした追悼広場になっており、先述の旧:道の駅「高田松原」同様に周辺一帯を津波復興祈念公園として整備されています。
・詳しくは【撮】 奇跡の一本松 ★★★ 【陸前高田市】を参照

◆ 奇跡の一本松 ◆
保存可否保存→周辺一帯を津波復興祈念公園として整備中
住所:岩手県陸前高田市気仙町砂盛砂盛176−6
料金:見学無料
バイク駐輪場:新:道の駅「高田松原」を利用
※駐車場から奇跡の一本松まで徒歩約10分かかります
見学時間:日の出~日没頃まで
参考HP陸前高田市/奇跡の一本松
訪問時期:2011年~2017年に数回
★Googleマップで【奇跡の一本松(駐車場)】を見る★

気仙中学校 【陸前高田市】

屋上でなく高台に避難したため人的被害を逃れた中学校

※2011年10月撮影
 気仙中学校は国道45号沿いの気仙川の河口付近にある中学校です。
 震災当時は市の避難マニュアル通りではなく、とにかく高台を目指して逃げる「津波てんでんこ」を校長の判断で指示をしたため、結果的に校舎は屋上まで飲み込まれたものの、学校に居た生徒教職員の人的被害はゼロで済みました。

 その後、校舎は震災遺構として保存が決定し、2020年12月現在も保存整備が進められています。 将来的には校舎内部も見学できるよう整備中とのこと。
 3階建て校舎の屋上のさらに上まで達した津波到達看板を見る限り、高台に逃げるよう指示を出した校長の英断が功を奏した結果だと実感できます。

◆ 気仙中学学校 ◆
保存可否保存→保存整備中
住所:岩手県陸前高田市気仙町小渕
料金:見学無料(外観のみ)
バイク駐輪場:整備中の為まだ無し
見学時間:特に制限なし
訪問時期:2011年10月/2017年9月
★Googleマップで【気仙中学校】を見る★