原爆の爆心地の近くにある赤レンガ調の教会
「慶応3年(1867)の浦上四番崩れによるキリシタンの流配(旅)から戻った浦上のカトリック信徒達は旧浦上村の庄屋宅跡を購入し、明治13年(1880)補修して仮聖堂としました。
その後、明治28年(1895)主任司祭・フレノ神父はロマネスク様式で煉瓦造りの聖堂建設に着手。
大正3年(1914)献堂式が行われ、大正14年(1925)双塔の竣工をもって完成に至りました。
当時の天主堂は「東洋一の教会」と称されていました。」(現地案内板より)
とのことで、完成した浦上天主堂(浦上教会)は1945年8月9日の長崎原子爆弾投下によって、かつてあった建物は一部の外壁を残して崩壊。 外壁の一部は平和公園にある、原爆公園の爆心地近くに移設されて被爆遺構として後世に伝えています。
そして昭和34年(1959年)に以前と同じ場所に現在の浦上天主堂が完成しました。 旧天主堂の姿を模した外観で建築されました。 レンガ造りで巨大な教会は、同じく長崎市で有名な教会、大浦天主堂とはまた違う重厚さがあって静かに町を見下ろしているかのような佇まいです。
浦上天主堂は少しだけ高台の場所にあって、坂道の多い長崎の街がちょっとだけ見渡せます。
横から見るとかなり奥行きがあって巨大な煉瓦造りの教会なのが実感できます。
こちらも他の教会と同じく中は撮影禁止だったので撮ってないですが、中は大浦天主堂と比較すると意外とシンプルで広々としています。 左右の窓枠に施されているステンドグラスの模様も美しいです。
平和公園とセットで行くのがいいですが、平和公園全体と浦上天主堂すべて歩くとなるとかなり足が疲れるかも? それでも長崎へ行ったならぜひ抑えておきたい教会施設の一つです。